読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

鉄道のトンネルの出口、入口はどうして決めている

トンネルはどっちが入口でどっちが出口……とんち問答みたいですが、トンネルの建設や保線にあたる人たちは、ちゃんと人口と出目を区別しているのです。

 

その決め方は、鉄道の起点に近いほうを入口、終点に近いほうを出□としています。

 

たとえば、東海道本線ですと、起点は東京、終点は神戸です。したがって、丹那トンネルの場合は、熱海側か人口、三島側か出口となります。

 

 

「おみおつけ」を漢字で書くと?

「御御御付」となります。

もともとはこの言葉は「つけ」だけなのです。これにていねいの接頭語「お」を三つも重ねたのです。

「つけ」とは、ご飯の添え物という意味で、汁物のことです。

調味料のはじまりはなんでしょう

みそ、しょうゆ、塩、酢、ソース、砂糖、現代人の食生活は、調味料の多彩さでも、バラエテイーに富んでいます。

 

生肉を食べていた古代人から進化して、調理したものを食べるようになった時代の人々は、やはり調味料を使っていました。

 

縄文時代になると、本の実を利用して、パンをつくったり、酒をつくったりしている昔の日本人は、塩保存の意味も兼ねて、本の実をつき砕いて、みそのようなものをつくっているのです。

 

副食物も兼ねた、この「本の実みそ」が、加工してつくった調味料の始まりではなかったかと思われます。

 

縄文時代の終わりになると、「草醤」といわれる漬け物に似たもの、「肉醤」という魚やヶモノの肉を漬けた塩辛状のもの、そして「穀醤」といわれる雑穀を漬け込んだみそに近いものが出現してきます。

 

これらは、主食や副食に直接混ぜたり、上からかけたり、または単独でというように、いろいろな食べ方がされていました。

 

草醤、肉醤、穀醤がしだいに発達変化して、今日のみそやしょうゆ、酢などになってきたのです。

 

 

くちかみ酒とは一体 なんだろう

酒の話には、よく猿酒のことが出てきます。

 

猿酒というのは、猿が本の穴や岩のくぼみに集めておいた本の実などが、雨風のために自然発酵したもので、これが、酒のはじまりだというのです。

 

人間も、食糧を蓄える生活をしてきたのですから、なにも猿酒で発見しなくても、自然発酵した酒の経験は持つたかもしれず、これが、やがて加工技術につながっていったことも考えられます。

 

現在伝わっている伝承の中に、米を噛んで発酵させたという話があります。

この口醸酒は、アフリカやブラジルの原住民の中にも同じような方法が見られますので、あるいはぽんとうだったのかもしれません。

 

それというのも、『古事記』には「須須許里がかみし酒に、我酔いにけり」と応神天皇が歌つたとありますし、『万葉集』には、大伴旅人の歌で。君がため醸みし待酒安の野にひとりや飲まん友無しにして”というのがあり、これが口醸酒の証拠によく引用されたりしています。

口醸酒は、かなり後まで残っていたらしく、一七五七年に琉球(のちの沖縄県)に渡った清朝の使節が、尚王の宮廷で出された酒の味に驚き、つくり方を聞いたと’」ろ、それは若い女の子が口でかんでつくったと聞かされ、二度と飲まなかった、という話も残っています。

 

酒づくりは、中国や朝鮮からの帰化人が、より高度な酒造法をもたらしたことで、しだいに現代の酒づくりに近くなっていきました。時代が下って『延喜式』には、酒をつくる場合「酒殿一宇、白殿一宇、麹室一宇」を用意すると書かれていますが、それは、四人の女が一石の米を臼殿で精米し、酒殿には酒を醸すカメを並べ、麹室では麹をつくるというものです。

 

これでみると、現在の酒づくりと、ほとんど変わりはないようです。

 

また「延喜式」には、このようにしてつくる酒のほかに、濃い酒、甘い酒、頓酒、汁糟など、一〇種以上の酒のつくり方が書かれてあり、多彩な技術が発展していたことをうかがわせます。

 

二十世紀梨はいつどこで生まれたか

梨の中でも甘くて水気たっぶりの二十世紀梨は最も人気があります。

 

この梨は現在では鳥取県が最大の産地になっていますが、もともとの生まれは関東、~葉県松戸市なのです。

 

松戸で農業を営んでいた松戸覚之助氏が、自然交配で生まれた新しい苗木を発見したのが二十世紀梨の起こりです。

 

松戸氏はその後改良を重ね、明治三〇年ごろ(一八九七年ごろ)に新しい品種として完成させました。

ですから、二十世紀梨の誕生は、二〇世紀を三年後に控える、一九世紀末の出来事だったのです。

 

松戸氏は、この梨に最初は「青梨新太白」という名前をつけましたが、のちに「二十世

紀」と改めました。

 

現在、千葉県の松戸市立博物館には、この原木が保存されています。また、現地には記念碑も建っています。

 

サンドイッチの発明者はだれ??

パンの間にチーズやハムや野菜をはさんでつくったあのサンドイッチ。ピクニックのべんとうや、軽食スナックでもおなじみです。

 

一八世紀、イギリスはケント州にいたサンドイッチ伯爵は、ギャンブルが三度の食事より好き。トランプを手にすると、一晩中でもテーブルの前を動きません。

そこで困るのが三度の食事。

なにしろ食べる時間がもったいないし、といって食べないとおなかがすくし。

 

考えた伯爵、召使いを呼んで、パンや肉や野菜を、トランプ台の横に並べさせました。

 

そして、パンを食べて、肉を食べてという手間と、ナイフやフォークを使う面倒を省いてしまい、二枚のパンの間に肉や野菜をはさんで、手づかみでムシャムシャやったというわけです。

 

サンドイッチ伯爵は、こうして度を越したギャンブル好きの悪名とともに、手軽な食べ物にも名を残すことになりました。

 

 

ところで、このサンドイッチ、名前こそ違いますが、同類の食べ物はすでに古くからあ

って、古代ローマでは「オッフラ」と呼ばれ、愛好されていたということです。

 

秋の空はなぜ変わりやすいのか

「女心と秋の空」というと、現代女性に「いえ男心と秋の空よ」と反発をくいそうですが、いずれにせよ、朝のうちは澄み渡るような秋晴れだったのに、数時間もたたないうちにどんよりとした曇り空に変わってしまう秋の空は、男女の心情の移り変わりによくたとえられます。

 

 

たしかに、秋の大気は一年中を通して、最も変化か速く、コロコロと目まぐるしく変わります。

 

これは、いわゆる天気がよい移動性高気圧と、天気が悪い前線とが、交互に、しかもかなり速いスピードで日本の上を通過するからです。

 

春の天気もよく似ているのですが、秋の場合には一時的に冬型の西高来低の気圧配置になり、シベリア高気圧が北日本に張り出してくると、西から来た前線が、日本の南岸に停滞していわゆる秋雨前線ができて、関西から西の太平洋沿岸では北東の冷たい風が吹いて、長雨を降らせたりします。

 

そのうえに、秋には台風がやってきて、この前線に接近でもしてくれば、大雨になったりするので、ますます天気の変化はめまぐるしくなるというわけです。

 

さらに、気温のほうもだんだん下がってきて、朝夕めっきり涼しく感じるようになると、午前中はホカポ力日だまりで気分よく過ごせたのに、突然どんよりと日がかげって寒くなってしまうと、心情的にも秋の空の変わりやすさが、身にこたえるものです。

 

 

太陽の温度はどうやってはかる

太陽は地球からはるか1億5000万キロメートルのかなたにあります。これこそ天文学的な数字で、どれくらいの距離なのか、見当もつきません。

 

たとえば、この距離を特急で走ると、二〇〇年もかかり、一秒間に地球を七まわり半もする速い光でさえも、太陽にとどくまでには、八分一九秒もかかります。

 

ところで、この太陽から私たちは巨大な熱子不ルギーを授かっています。

 

太陽直ドー牛方センチメートルあたりT分間に約二カロリーの熱量を受けています。 とい7こここ「快活ノヤにに、洗面器一杯の水を目なたにおいておくと、約三時問ほどで、ちょうどお風呂に入るときの温度の四〇度Cぐらいまで温められることになります。

 

海岸の砂は真夏は八〇度Cまで上がり、とてもはだしで散歩などできるものではありませ

こうした熱量は、実際は大陽が出している熱のわずか二〇億分の二I、そのほとんどは宇宙に放出してしまっているのです。

 

これはどの熱量を持った太陽の温度はどのくらいかというと、中心部で一五〇〇万度c、表面で約六〇〇〇度c、黒点が約四〇〇〇度cといわれています。

 

もちろん、こうした温度を直接はかることは不可能です。

 

では、どうやって測定したかというと、物質のスペクトルによって逆算したのです。

 

目先をプリズムに当てると、七色に分かれ、色のついた光の帯ができます。これがスペクトルこ呼は~そ七にてナト打質ごスペクトルはちょうど人間の指紋と同じように、その物質独自のものです。

 

そこで、このスペクトルを調べると、元素の種類や、量、温度がわかるわけです。

 

こうしたことをもとにして、中の温度がどれだけになっているはずだ、ということが計算されて出てきたわけです。

 

しかし、太陽のいちばん熱い中心部から遠く離れた外のほうは、熱源から離れるのでだんだん温度が下がるのが片通ですが、コロナと呼ばれる太陽の外側の大気の部分は、一〇〇万度Cの高温です。

 

これはなぜかというのは学説がいろいろあって、まだはっ『うりしません。というのは、このコロナの部分は皆既日食のときしかその姿を現さないから、十分調べようがないのです。

 

こうしたことから、皆既日食だというと、専門家が群れをなして観測に出かけ、大さわぎするわけです。

このように、太陽の仕組みは、なかなか根雑で、しかも調沓も十分ではないため、この温度にしても、かなり大ざっぱな計算しかできていない、というのがほんとうのところです。