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なぜサンマは目黒にかぎるのか

もちろん「サンマは目黒にかざる」といった殿様は、落語の世界の住人ですが、現実の殿様も、こと食生活に関しては、落語の殿様と変わりがなかったようです。

 

徳川家の台所、江戸城の大奥では食事要員だけでも一五〇人ら、将軍の食事にも、相当な出費がかさんだようです。

将軍用の食事は、毎食それぞれ10人前ずつつくられました。このうち二人前が毒昧役に

まわり、残った八人前加将軍用になるわけです。

 

なぜ八人前も食事を用意したのかというと、将軍は料理に一箸つけて□に運ぶと、そのお膳はさげ、別のお膳に取り替える作法になっていたからです。しかも三膳まで、という作法になっていたというからだよりません。

他にも細かい作法がいっぱいあって、ご飯は三杯までなどというのもありました。不自由もいいところです。

 

目黒でジュウジュウ脂ののっている、アツアツのサンマを食べた殿様が、飛び上がって「ウマイ」と叫んだ気持ちがよくわかります。

 

余った食事はというと、みんな給仕や女中たちで食べました。食事の余りだけでなく、料理の素材にしても、将軍用は最高のものをちょっぴり選んで使用しましたが、その他の部分は、家来たちで分けました。

 

たとえば、魚なら二〇〇匹いるうちの一匹を選び、その魚から切り身を一切れか二切れをとって、残りの九九匹は家来で分けあったというわけです。

 

幕府の将軍用の食費のうち、本人の口に入るのは、ほんのに満たなかったのです。